最近は都市伝説にはまっている歴史系記事担当の黒沼です。
今回は前回に引き続き、近世の壁画について書きたいと思います。前回ご紹介しました、テンペラ技法と同様に近世において壁画に多く用いられたのがフレスコ技法でした。(こちらが壁画の技法としてはメインかもしれません。)
フレスコ技法とは
フレスコ(fresco)とは「新鮮な」を意味する言葉で(freshと同じ意味ですね)
基本的には漆喰(消石灰と砂を水で練ったもの)を壁に塗り、乾かないうちに水に溶いた顔料で描く技法です。水に溶いた顔料には、バインダー(のり成分)が含まれないため本来なら定着しないのですが、漆喰が固まるのと同時に絵が完成するため、定着するわけですね。
具体的な工程は、切石や煉瓦で組んだ壁に粗塗り、中塗り、上塗りと複数回に分けて、漆喰を塗りこんでいきます。(上の層ほど漆喰に含まれる消石灰を増やしていくことで滑らかに仕上げるそうです。)
中塗りが終わった段階で、下絵(シノピア)を水に溶いたベンガラ(赤茶色の顔料)や木炭で転写し、描き始めます。
作品によっては原寸大の下絵(カルトーネ)を用意し、輪郭線上に等間隔に穴をあけ粉を上から刷り込む(スポルベッロ)や、尖った棒で輪郭線をなぞって転写する(インチジオーネ)が用いられたようです。因みに、ラファエロ作の「アテネの学堂」はスポルベッロで転写されたようです。
その後、一日で描き切れる範囲だけの上塗り(ジョルナータ)をし、漆喰が乾く前に一気に描ききっていたようです。
歴史上のフレスコ画
歴史上有名なフレスコ画は数多くありますが、今回はラファエロ作の「アテネの学堂」について書きたいと思います。
この作品は、時の権力者ユリウス2世のオーダーで描かれた受注作品だったわけですが、ラファエロ個人の秘めたる思いが込められていると言います。
この作品は古代ギリシャの有名な哲学者が一堂に会した場面を描いたものです。
画面中央で天を指さすのがプラトンで、地面を指すのがアリストテレスです。
前にも少し書いた通り、ルネサンス期は人間の理性や可能性を肯定する古代ギリシャの人間観(ヘレニズム)が再評価された時代でした。それで古代ギリシャの哲学者が描かれたわけです。
そしてルネサンス期はまだまだ画家の地位が低かった時代でした。
現代では音楽家や美術作家は創造的な人たちというイメージがありますが、当時は違いました。当時の認識は「手が汚れる職業=下々の者の仕事、手が汚れない仕事=知的な職業でエリート」というものでした。
よって、現代、同じ芸術家と考えられる音楽家はエリートで、美術作家は低い身分だったわけです。
これは当時の大学の学問分類にも反映されています。「自由七科」(最高の学問の哲学を学ぶ前に学ぶべき7つの教科)に音楽は含まれていますが美術はありませんでした。
この当時の状況への批判をラファエロは「アテネの学堂」に込めました。
プラトンのモデルをレオナルドダヴィンチに、作品手前でほお杖をつく男、ヘラクレイトスのモデルをミケランジェロにしました。そして自身の肖像もまぎれさせました。(知らなかった人は探してみてくださいね。)これにより、画家だって学者に並ぶような職業人だと主張したわけですね。
まとめ
部分的に完成させていかなければいけないという制約のあるフレスコ画は最も自由の利かない頑固な技法かもしれませんね。それだけに作者の腕前が際立ちますね
壁画の歴史についてはこちら→http://tamakobo.com/hekiga-rekisi/
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